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江馬細香の2つの印「細香」「湘夢」
緒方洪庵の「滴々斎」の落款
断層画像写真
江馬細香 美術年鑑の評価額
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「日本外史・巻四」は、鎌倉幕府2代執権「北条義時」を中心に記しております。文政武鑑 新板改正 全4冊 須原屋茂兵衛版。
隷書体による「日本外史」江馬細香・自筆
自筆下部に江馬細香の落款(印譜)「細香」と「湘夢」がある。教王護国寺蔵伝真言院 両界曼荼羅 全2函 石元泰博。2つとも細香の落款
自筆上部に緒方洪庵の所蔵を示す「適々齋」の落款(印譜)がある。玉はばき 第1号。
(自筆の凹凸はストロボの反射によるものです。鎔造化育論 全3冊 佐藤信淵。)
「額縁入自筆原本」
上記額は、海外展示の際に用いられた額です。歌集 改選 赤光 斎藤茂吉。
「自筆原本」
原本下部の2つの印は、江馬細香の「細香・湘夢」の落款。環斎記聞 鎌田環斎。上は、緒方洪庵の「滴々斎」の落款。KEITOJOH 城景都。
《江馬細香・自筆「日本外史」北条記》
原本の来歴及び国内所蔵数については下記に記載
海外展示に際し、断層写真により分析されております。新調韻文 青年唱歌集 全2冊 山田美妙 米僊・省亭木版口絵。原本を分析・解析するために海外の研究機関において「断層(MRI)写真」撮影等による新技術による分析・検査・証明が行われた後、一般の展示に付されたものです。大増補 法華経御鬮霊感籖 上中下三冊。
出品した自筆は、アメリカで撮影された下記「断層(MRI)写真」においてわかる通り、微細な曲線をも精緻に描いた極めて美しい芸術性の高い日本語の優れた文字としても高い評価を受けております。六代目菊五郎伝 改訂版 浜村米蔵編。上から3番目の写真は、科学的で客観的な分析データを重視するアメリカの航空宇宙局(NASA)の技術による「断層(MRI)写真」です。土地 武者小路実篤 岸田劉生装幀。「断層(MRI)写真」によって、古切の書の詳細を知ることができます。ギヨツツ ゲーテ著 森林太郎訳。NASA(アメリカ航空宇宙局)の優れた技術である「断層(MRI)写真」撮影を通して、日本の優れた伝統技術をアメリカ国内において広く知らせているものです。人間を彫る 関野版画五十年の集大成 関野凖一郎。
《日本外史 巻之四 源氏後記 北条氏》
《被親信》・・・如初。木口木版蔵書票集 博物図鑑 限50部 大内香峰。賴朝忌弟義經勇智。大報父母恩重経鈔 亮典書。謀除之。紅 田村とし子(俊子)。文治元年。雪に書く 表現叢書 10 佐藤惣之助。冬。五味川純平草稿 歴史上の事実に対する困惑 五味川純平。親將之京師。九成宮醴泉銘 全8帖 加藤梅香肉筆臨書帖。義經奔竄。美濃城記。
賴朝途還。@1924年 張廉卿墨跡 唐本漢籍 検:碑帖 本拓本 墨拓 碑拓 碑刻石 法帖 魏碑 珂羅版 支那 書道 善本 篆刻 瓦当 印譜 王羲之 玻璃版 法書 石鼓。遣時政。西国紀聞・第六号/細島晴三/明治10年/西南戦争/和装本/賊将西郷隆盛より賊将谷干城へ書を贈れり依て士官囲を脱し南の関本営に持参せりと。以千餘騎護京師。富田常雄草稿 弁慶 611から613回 都の風 富田常雄。四索不獲。絵図 (城郭図) 香川県 讃岐國 丸亀城 (レターパックライト発送)。於是以賴朝意奉請。塚本邦雄歌幅 雲雀童子の歌 塚本邦雄。諸國司置守護。さようならCP 原一男構成。
莊園置地頭。寛政・嘉永 水場の定 2枚で。所在追捕。与謝野寛短歌全集 特定本 別に遺稿歌集付き 与謝野寛。弗被允。Glp_362611 茶人大系譜 完 阿州棲霞陳人.著。時政抗辨再三。軍事資料/戦時/1940年 検索:武器/日中戦争/日支事変/満洲帝国/日本軍/発砲/軍服/戦略/戦術/兵法/陸軍/上海戦役/支那/刺刀/槍械/兵士訓練。終被允。猫の微笑 薄田泣菫。自爲七國地頭。仏学始祖 村上英俊 全3冊 瀧田貞治。已而辭之。日本名探偵文庫21 大暗室 江戸川乱歩。
當是時。豹の眼 探偵冒険 高垣眸。大亂初平。岡本一平書簡 岡本一平。京畿多事。食人島の恐怖 探偵冒険小説 南洋一郎。時政身當其衝。海豹と雲 北原白秋。事無不立辨。武家必覧 殿居嚢 全2帖(武家故実) 訂書堂蔵版。餘東歸。メガメ JAPON F・REGAMEY/メガメ。
以詔擧從弟時定自代。歌集 風雪 愛蔵本 吉井勇。亦賴朝意也。木芽説 (茶道) 前田夏蔭。賴朝嘗獵富士野賴家甫十二。花押拾遺 全5冊 横山寛。射中走鹿。窪田空穂歌幅 東山寺々に… 窪田空穂。
賴朝大喜。弓道伝書/弓術伝書/日置流・小笠原流・吉田流/和装本/昭和11年。使人報之政子。伊勢軍記 神戸外記著。政子曰。武功雑記・5冊/肥前平戸藩4代藩主松浦鎮信が記した戦話/諸士諸将の武勲を雑記したもので関ヶ原の戦や大坂の陣などについて詳しい/明治36年。彼將家冑子。改訂 新刻大坂詳細全図 伊藤頴男編。獲一禽。坪内逍遥書幅 A 坪内逍遥。何煩專使。長谷川かな女色紙 女正月 長谷川かな女。賴朝愧之。早春詩抄 島崎藤村/畦地梅太郎木活字工作。
正治元年。戯場楽屋図会 全4冊 松好斎半兵衛作。正月。武門要鑑抄 全3冊他 上杉謙信伝。賴朝伏。和泉名所図会 全4冊 秋里籬島撰。賴家立。改正 海外諸島図説 前集 斎藤寛他 柳川重信画。政子削髮爲尼。都鄙新聞 第一号 至誠館編。而與聞政事。大谷句仏短冊 水底に… 大谷句仏。時・・・・《政敍從五位下》
漢文の文責・出品者
注記・漢字が難字(旧字)の場合、システムの関係でエラーとなり画像に反映されない場合があります。硝石製煉法 全 桜寧居士。その場合、空白となりますが落札の際に出力文を交付いたします。勾田台嶺画額 風景画 勾田台嶺 まがただいれい。「原文の読み下し文」と「現代語訳解読文」は、漢文の文字(難字・旧字)を正確に反映しております。尾張藩役名規式 (家中役付帳)。
《日本外史 巻之四 源氏後記 北条氏》
初めの如し。尾上柴舟短冊 裏山は… 尾上柴舟(八郎)。頼朝(よりとも)、弟義経(よしつね) の勇智を忌み、之を除かんと謀る。伊藤圭介二行漢詩幅 先世伝家… 伊藤圭介。
文治元年 (1185)冬、親ら将として之を京師に撃たんとす。信濃国更級郡大岡村などへ西沢準平年貢皆済目録 現長野市大岡地区。義経(よしつね) 奔鼠す。鈴鹿野風呂句幅 吾亦紅 鈴鹿野風呂。
頼朝 途にして還る。新都市雑曲集 深紅の人 佐藤惣之助詩集 佐藤惣之助。時政(ときまさ) を遣し、千余騎を以て京師を護らしむ。小磯良平ブックワーク 特装本120部 小磯良平。
四もに索むれども獲ず。武家懐鑑 無刊記(江戸後期刊)。是に於て、頼朝の意を以て、奏して諸国司に守護を置き、
荘園に地頭を置きて、所在追捕せんことを請う。上村松篁 花香鳥鳴 上村松篁。允されず。観経隠彰義 全3冊 信暁。
時政(ときまさ)、抗弁すること再三にしで、終に允され、自ら七国の地頭と為る。随筆 茶烟亭燈逸伝 岩佐東一郎。
已にして之を辞す。村上鬼城短冊 霜月の日ざし 村上鬼城。此の時に当り、大乱初めて平ぎ、京畿多事なり。欧州新話 谷間之鶯 セルバント/齋藤良恭。
時政(ときまさ)、身、其の衝に当り、事立ちどころに弁ぜざる無し。尾張国輿地全図 高柴三雄誌。
歳余にして東帰す。詩集 思弁の苑 山之口獏 佐藤春夫・金子光晴序文。詔を以て、從弟時定(ときさだ) を拳げて、自ら代らしむ。@1932年 満洲国 写真帖 初版 検索: 支那 上海事変 中華民国 軍閥 蒋介石 閻錫山 馮玉祥 国民党 生写真 古建築 総督府 汪精衛 地図 関東軍。
亦頼朝(よりとも)の意なり。経世指針 鉄烈奇談 フェネロン/伊澤信三郎訳。
頼朝(よりとも)、嘗て富士野に猟す。詩文集 誕生日 林修平(林富士馬)。頼家(よりいえ) 甫めて十二、射て走鹿に中つ。雨夜のともし火(燈火) 湯浅元禎。
頼朝、大に喜び、人をして之を政子(まさこ) に報ぜしむ。井上士朗画 三輪月底句画賛扇面幅 井上士朗 三輪月底。
政子曰く、「彼は将家の冑子なり。尾崎喜八草稿 かびれ俳句 冬木原 尾崎喜八。一禽を獲たるに、何ぞ專使を煩さん」と。蘿隠集 漢詩文 全2冊 横井暮水也有著 大口金三郎編。
頼朝(よりとも) 之を愧づ。明治11年 東京府下町村改正区郡分一覧 林吉蔵編刊。
正治元年 (1199)正月、頼朝(よりとも)失す。日本唐土二千年袖鑑 拾遺絵入天地人 3冊 歌国 鐘成他 半山画。頼家(よりいえ) 立つ。勢遊志 伊藤長胤。
政子(まさこ)、髪を削りて尼と為り、而して政事を与り聞く。まごころ 石坂洋次郎。
時・・・・《政(まさ)、従五位下に叙し)
漢文の読み下し文の文責・出品者
《日本外史 巻之四 源氏後記 北条氏》
《源頼朝、鎌倉に幕府を開く》
《源頼朝、義経追討の命令を出す》
《北条時政は、鎌倉に戻って来て、頼朝に親しみ
信頼されることが》・・・・初めの頃と同様であった。小寺稲泉画幅 水無月 小寺稲泉。
頼朝は、弟義経の智勇を忌み嫌い、これを除こうと謀った。元亨釈書 全15冊 虎関師錬。
文治元年(1185年)冬、自ら将として京師で義経を撃とうした。近代風景 創刊号 北原白秋編。
義経は、逃げ隠れた。高浜虚子短冊 我を迎ふ 高浜虚子。頼朝は、途中で引き返し、時政を遣わし、
千余騎を率いて京師を護らせて、そして四方を捜索したが、義経を捕まえられなかった。一原有徳識語懐紙 カルデラの… 一原有徳。
そこで、時政は、頼朝の意向を朝廷に上奏して、諸々の朝廷の土地に守護を置き、
諸々の荘園に地頭を置き、各地で守護・地頭が盗賊・謀反人を追補(ついぶ)することを請うた。アラワシ (児童書 絵本 漫画本) 渡辺哲夫作 安井小彌太画。
だが、許されなかった。纂図附音増広古註千字文 李邏。時政は、朝廷に再三抗弁して、
とうとう守護・地頭を置くことが許されて、自ら七ヶ国の地頭となった。金子薫園短冊 青きりの 金子薫園。
その内に、時政は、これを辞職した。尾崎喜八草稿 ヘルマン・ヘッセ 画と随想の本 尾崎喜八(無署名)。
この当時、保元平治以来の大乱が初めて平定して、京師畿内に多くの仕事が有った。名古屋市全図 A 松久哲。
時政は、自ら重要な職務を引き受けて、あらゆる仕事を立ちどころに片付けた。和洋建具雛形図解 川津書店 昭和二十八年(U232)。
一年余りで関東へ帰った。与謝野寛短冊 梅などは… 与謝野寛。詔を受けて、時政は、従弟(いとこ)の時貞を推挙して、
自らの代わりにしたが、これも頼朝の内意であった。尾三実測図 訂正再版 太田正公序。
頼朝は、嘗て富士野で狩りをした。水無瀬歌合 上下2冊 藤原親定等。頼家は、この時十二歳になったばかりで、走る鹿を射て命中させた。与謝野晶子歌まくり おどけたる… 与謝野晶子。
頼朝は、大いに喜び、人を遣ってこのことを政子に報告させた。加賀孝一郎水彩画 加賀孝一郎。政子は言った、「彼は、将軍家の嫡子です。太宰治の作品とそのモデル 岸金剛。一頭の獣を仕留めて、何故わざわざ使者を遣わすのですか」と。趣味の版画 伊豆倉大人形集 山下関一編。
頼朝は、これを恥じた。海学堂臨末口授 彰見寺旭弁・龍泉寺慧浄共著。
政子、政事に与る
正治(土御門、1199~1201年)元年(1199年)正月、頼朝が世を去った。姓氏便覽 寺内章明輯。
頼家が立って家を継いだ。慨世史談 断蓬奇縁 全4冊 エルクマン, チヤートリアン著 小宮山桂介(天香外史)訳。政子は、髪を削って尼となって政事に参与した。@1900年 装束甲冑図解 検索: 武道 武具 装身具 馬具 兵器 武器 刀剣術 剣術 範士 兵法 兵書 傳書 戦陣 鎧兜 弓矢 弓道 支那 武士道 殺人剣。
時・・・・・《政は、従五位下に叙されて、遠江守に任じられて、政所の別当となった。愛知県丹羽郡図 丹羽郡教育会偏。》
現代語訳の出典・「日本外史」
訳・頼惟勤・お茶の水女子大学名誉教授(1922~)
(断層画像MRI-4-5-A)
「細香・湘夢」の2つの印は、江馬細香の落款。生駒家臣分限記。
「序文の記載年号、落款、花押、及び隷書体の資料」
写真右から隷書体の「曹全碑」写真。文藝 第1号(創刊号)。右から2番目は、序文末尾の拡大写真。株林奇縁(日本語訳) 陳敬済。日付左の印は、大垣藩医・江馬蘭斎の娘、江馬細香の号である「湘夢」の落款。満州土産写真帖/大正3年/満州地図/大連埠頭の全景/大連の満鉄本社/満鉄の急行列車/旅順停車場/旅順の歩兵連隊/遼陽の歩兵隊/奉天の宮殿。右から3番目は、序文末尾に記された「文政十年(1827) 5月21日」の日付。名臣言行録 前後集 合本3冊 宋朱晦菴先生 朱熹撰。その左が「湘夢」の落款。腰越浜歩き 芹沢銈介。右から4番目が巻十六末尾下の「細香」の自筆署名と「湘夢」の落款。江分利満氏の優雅な生活 直木賞 山口瞳。左端は、江馬細香・自筆の評価額・出典・「美術年鑑」古美術名家撰851頁(美術年鑑社・刊)
上の写真は額縁裏面のラベル
下の写真右端は巻四冒頭の部分
下の写真左のうち上段は緒方洪庵の号「適々齋」
下の写真左のうち下段は仙台藩の家紋竹に雀の落款
上の写真は、江馬細香の肖像。蝗の大旅行 佐藤春夫。手前が細香、右上が紅蘭(原図は江馬家所蔵)
下の写真は、江馬細香の自筆の詩稿、三十九歳の時の漢文。土方泰山伯伊東元帥画賛幅 兵可用酒可呑 土方久元・伊東祐亨。校正個所は頼山陽
「日本外史」は本来、二十二巻から構成される冊子本であるが、出品した自筆の体裁は、一巻から七巻までを長尺の一巻の「巻物」として、合計三巻の「巻物」となっている。西春日井郡安井村全図 稲垣氏所蔵同捺印。そして、本来冒頭にあるはずの「序文」が末尾に表装されている。世界名作探偵 20 透明人間 ウエルズ 海野十三。序文に記載されている日付は、文政十年(1827)五月二十一日である。瀧井孝作句幅 朝顔の句 瀧井孝作。このため、本自筆は松平定信へ献上する前の完成していない「書きかけ」途中の「日本外史」であることがわかる。森村宜稲画幅 鶉 森村宜稲。
この自筆は、大垣藩の藩医・江馬蘭斎の娘で頼山陽の弟子・江馬細香の旧所蔵「日本外史」を頼山陽と親交があり、また尊敬をしていた仙台藩の大槻磐渓が譲り受けた「隷書体」の貴重な自筆です。虜愁記 直木賞 千葉治平。(所蔵経緯の詳細は下記説明欄に記載)。コドモトナリグミ (児童書 絵本 漫画本) 坪田譲治作 武井武雄画。出品して「日本外史」自筆は、隷書体による「日本外史」として初めてのものであり、貴重な隷書体の書として身近なものとして鑑賞することができます。柳原白蓮歌 名取春仙画幅 おもひきや… 白蓮画賛。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。狂言画 伊勢門水。落札後には、見やすいようにA4サイズの「光沢紙」に転写し交付いたします。明星画譜 全12葉 与謝野寛編 伊上凡骨刻。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。小早川清画幅 初かり 小早川清。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。奥羽道中膝栗毛 五篇各上中下巻揃 十返舎一九著。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。白描 十二支及び十二神将図像。撮影後、展示のために再表装をしております。近江国細見図 山下重政。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、隷書体による自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。水原秋桜子句幅 花の雨 水原秋桜子。
1・自筆には、「江馬細香」の落款である「湘夢」の押捺、及び三巻の巻物の「日本外史」原本を収納していた「桐箱」の中の付箋には、「細香之書、文政十年(1827)三月二十七日、頼先生から譲受」と記されている。女人散らし書き A。この字を記したのは、仙台藩医・大槻磐渓である。@1916年 擁護共和 紀章 雲南 都督府 検索: 支那 中華民国 北洋 軍政府 軍閥 唐継尭 蒋介石 閻錫山 馮玉祥 五色旗 孫文 国民党 生写真 督軍。磐渓の父・大槻玄沢は杉田玄白の筆頭弟子である江馬細香の父・江馬蘭斎の上司であった。越後国大絵図 (仮題) 絵師版元など不明。
頼山陽(1780~1832)は、文化11年(1814)35歳のおり、京都の医者であった小石元瑞(1784~1849)の養女・梨影(りえ)を妻に迎えている。赤復得楽帖 ◆貴重 /古書画。頼山陽は、小石元瑞の患者でもあった。膳城烈士遺稿・膳城烈士伝 計2点 永元原蔵編。小石元瑞は、仙台藩の侍医・大槻玄沢(1757~1829)に師事していた関係で、玄沢の次男・大槻磐渓(1801~1878)とも親しくしている。紡錘 山中智恵子。二人の交流は、頼山陽及び大槻磐渓両人の日記や著書に記されている。夢を描く 尾崎久弥(尾崎楓水)。頼山陽の文政10年(1827)3月27日の日記(頼山陽46歳)には、「雨、大槻磐渓来訪」と記され、翌3月28日の日記には、頼山陽、大槻磐渓、小石元瑞ら18名で「夜桜」見物をしていることが記されている。石井河内守利寛より渡辺半十郎宛礼状。
磐渓は、頼山陽と「夜桜見物」にでかけた時のことを次のようにその日記に記している。植松有経歌幅 月下薄 植松有経。
「二十八日、新晴、二賴(山陽と杏坪)及び諸氏に陪して平野に遊ぶ。高浜虚子句幅 秋の雲 高浜虚子。・・・晩桜乱発、落片雪の如く繽紛地に敷く。【推薦・繊細 明治期 彩色木版画】大日本史事畫集等検合戦国武将軍記武者絵入天皇仏教浮世絵本仏像歴史古書籍骨董品錦絵朝廷中国朝鮮歌舞伎。乃ち榻を花下に移し、張飲一場、頽然、皆酔ふ。殿居嚢(武家故実) 大野広域著。日暮に及び、花下の茶肆、各々数十の毬燈を以て之を枝に掛く。半田良平短冊 磐梯山 半田良平。遠近映発して煌々昼の如し。浅野梨郷短冊 7枚一括 浅野梨郷。」上記の通り、「桐箱」の中の付箋には、「細香之書、文政十年(1827)三月二十七日、頼先生から譲受」と記されていることから、頼山陽と会った日に「日本外史」自筆を受け取っていることがわかる。勢州阿濃津之城図 (津城) 三重県津市内。これは、大槻磐渓の個人的な依頼によるものではなく、仙台藩への献上品として前もって依頼し、この日に受け取っていることがわかる。新撰精密 万国新地図 山中善三郎。金銭の授受は明記されていない。伊藤圭介二行漢詩幅 花香… 伊藤圭介。また、頼山陽が仙台藩への献上について記していないのは、前老中の松平定信への献上が約束されており、山陽の自筆文を松平定信の前に仙台藩に献上することに遠慮があったものと推定されている。人間を彫る 限定本 関野準一郎。
大槻磐渓は、持ち帰った「日本外史」を藩に献上する前に隷書体「日本外史」を元に格調高い文体で「日本外史」を写している。小林清親肉筆画幅 二幅で 小林清親。磐渓は、「日本外史」を手書きによって書き写したのは、尊敬する頼山陽の業績を自らの手で確認したいとの思惑があったのではないかと考えられる。斎藤五百枝挿絵画稿 斎藤五百枝。
2・「緒方洪庵の旧所蔵」
自筆の一部には緒方洪庵の所蔵を示す「適々齋」の落款(印譜)がある。兵器考・4冊・戦前の兵器学のバイブル/有坂〇蔵/砲熕編・一般部/砲熕編・海軍砲熕・小銃/古代編・近代編/古今東西の兵器の大観に通ずるもの。一部の自筆が緒方洪庵の手許に渡っていることがわかる。黒田清綱短冊 江水鳥 黒田綱輝。緒方洪庵は、大槻玄沢の弟子であることは広く知られている。名古屋市全図 B 松岡利助。緒方洪庵自身も一部を所蔵し、大切に読みこなしていたことをうかがい知ることができる。絵入小唄集 三味線草 再版 竹久夢二。緒方洪庵は、大阪大学の前身・適塾を創設。山本太郎色紙 天まつせんを 山本太郎。洪庵は文化7年(1810)7月14日生~文久3年(1863)6月10日没。古刀銘尽大全/古刀銘盡大全・8冊/仰木伊織/初心目利手引焼刃部類分・鍛冶系図・番鍛冶・刀剣見様之事・焼刃忠押形並彫物・中心銘押形。
「日本外史」の外国語訳版では、「NIKHON GAISI」V.M.Mendrin,1915,Vradivostok.があります。月光仮面 2 川内康範。外国での展示に際し、上記「NIKHON GAISI」の表記ではなく、日本の国外における表記に準じ、「NIHON GAISHI」と表記。高浜虚子短冊 ガス深き… 高浜虚子。アーネスト・サトウは、明治5、6年頃「The Japan Mail」に「日本外史」の英訳を載せている。百人一首女庭訓入 女有職?(みばえ)文庫 文海主人。そのノートは、ケンブリッジ大学アストン文庫に残っている。詩集 采花集 与謝野寛。
出品した「日本外史」の書は、小さな断片です。■『狙日第五列』山中峯太郎著。昭和15年初版帯。帯付稀本。同盟出版社刊。■猶太(ユダヤ)國際陰謀の基底を小説化。。このような断片を「古切」という。海上衝突予防規則問答 全 本山漸編。頼山陽の自筆原本の多くは、頼家のある広島市が昭和20年の原爆投下によってその大半が焼失したため、爾来、出品者宅においても厳重に保管されていた。(尾張藩)編年便覧 平岩蔵の書き入れ。「日本外史」は、元来、大槻磐渓の書として冊子や巻子(かんす)で伝えられたものが、鑑賞用として「茶人」の好みにより「掛軸」、或いは屏風に仕立てられ茶道具として用いられた。工芸 86号 和時計特集 塚田泰三郎。なお、自筆を断片化することを「古切」という。津島神主 氷室長翁短冊 氷室長翁か。
国内における所蔵先等
出品作品と同じ「日本外史」の写本は、国立国会図書館(村瀬秋水・写)、東京大学、京都大学、大阪府(1冊のみ)など8箇所に現存。織田盛衰記 江戸後期写本。「国書総目録」第6巻379頁(岩波書店・刊)出品作品は、所蔵経緯、来歴が明確であるため極めて希少価値が高い。美術と工藝の話 柳宗悦著 章華社刊 初版。ただし、いずれも「真書体」「楷書体」で、「隷書体」の「日本外史」自筆は、本出品の自筆は日本国内でただ1部現存するのみ。グンカン (児童書 絵本 漫画本) 渡邊哲夫作 安井小彌太画。
自筆は昭和39年以来アメリカの大学で分析され以後アメリカ国内で展示が継続されていた。水の面に書きて 堀口大学著 長谷川潔装幀。一部が日本に戻り後の大半はまだアメリカで展示されております。田中冬二草稿 随筆一点と詩篇4点 田中冬二。自筆には、「江馬細香」の落款である「湘夢」の押捺、自筆署名の花押、及び三巻の巻物の「日本外史」原本を収納していた「桐箱」の中の付箋には、「細香之書、文政十年(1827)三月二十七日、頼先生から譲受」と記されている。忍秘伝/服部半蔵所伝/万川集海・正忍記と共に三大忍術伝書/限定。この字を記したのは、仙台藩医・大槻磐渓である。校訂 西鶴全集 上巻5冊 尾崎紅葉他校訂。磐渓の父・大槻玄沢は杉田玄白の筆頭弟子である江馬細香の父・江馬蘭斎の上司であった。歌聖糟谷磯丸翁陶像など 昭9年雪鴻箱書(箱蓋裏に)。
蘭斎は、江戸での学業を途中で打切り大垣藩の藩医となる。豊明り 可都美序 俳書。大垣藩で蘭医として名声の上がっている江馬蘭斎の許を頼山陽が訪れ蘭斎の娘・江馬細香に求婚するが父・蘭斎が断る。史徴墨宝・上下/折帖/源頼朝・楠木正成・後醍醐天皇・後白河天皇・足利尊氏・織田信長・豊臣秀吉・徳川家康・毛利元就・加藤清正・北條早雲。若い頼山陽の貧しさを父・蘭斎が嫌ったことが原因である。安藤帯刀・水野対馬より西山与七郎宛加増目録 伊勢国多気郡・度会郡・飯高郡・紀伊国日高郡村々。しかし、細香は頭脳明晰で漢文や詩文をこよなく愛し、その後頼山陽に弟子入りしている。劔目利傳書 剱目利伝書 刀剣 日本刀 室町末期頃寫。
頼山陽は、早い時期から「日本外史」を書き始め、文化2年(1805)年3月20日の「大槻子縄(仙台藩学頭)に与ふる書」の中で「日本外史」を起草していることを示している。果樹 水上瀧太郎。「日本外史」は「文政十年(1827)五月二十一日付」で白河藩主・松平定信に献上したものだが、献上以前に並行して仙台藩からも求められ頼山陽が弟子の江馬細香に写させていたと推定されている。女人散らし書き B。
白河藩主・松平定信の献上の二ケ月前に大槻磐渓に渡されたのは、大槻磐渓の父・玄沢が病床にあったことが関係しているという説、及び白河藩より仙台藩の方が大藩であったことと、頼山陽が仙台藩から援助を受けていたことも関係しているとの説もある。平出修短冊 室戸岬 平出修。また、大槻磐渓は、文政十年(1827)より以前に序文のない下書の「日本外史」を入手し「楷書体」による写しを進め、後年、前記の通り、磐渓の父の弟子である緒方洪庵に渡っていることがわかっている。明和新増 京羽二重大全 全8冊 博昌堂謹誌。
2・「江馬細香の自筆とアメリカの基準について」
①・自筆は「女文字」であり、同時に上記、細香自筆の草書体の花押、落款、及び来歴から日本国内的では「江馬細香・自筆」とされていた。猛獣狩冒険 密林の王者 南洋一郎。しかし、アメリカでの展示に際しては、科学的な筆跡全体の照合が条件として追加される。梅花一枝 限定300部 清水公照。日本的な鑑定人による視覚による主観的な分析ではなく、科学的な解析手法である「ドーバート基準」による筆跡の分析、すなわち、江馬細香の「隷書体」自筆との照合であるが、細香は「湘夢遺稿」など多くの自筆文を残しているがいずれも「行書体」「草書体」で「隷書体」の自筆文は現存していない。中山東物語 (雑史実録)。このため、細香の他の隷書体の文字との照合ができないため、海外展示に際し、「江馬細香・旧所蔵」とし、「Ema Saikou・Autograph(江馬細香・自筆)」とはしていなかった。虚無を行く 西谷勢之介詩集 西谷勢之介。(2015年1月迄)
その後のコンピュータ分析の精度向上の結果、江馬細香の「草書体」の文字と「隷書体」の文字情報を高速度で分析した結果、自筆は「江馬細香・自筆」であると解析された(分析法は下記②の欄)。水谷勇夫 書琉球の風・短冊・展覧会案内など 一括(作品10点と案内状4点) 水谷勇夫。この結果、「江馬細香・自筆」と説明欄に追記した。近世太平記 全3冊 吉村明道編。
②・自筆の筆者の識別方法について
国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。志賀直哉の手紙 武者小路実篤編。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。骨董集 全4冊 山東京伝。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。信濃之図(仮題)。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。美濃国絵図 (大図) 制作者等不明。
③・筆跡について
欧米では、筆跡の細部を検証するには人間の目ではなく、指紋の照合と同様アメリカではコンピューターが利用されております。東春日井郡実測図 東春日井郡教育会編。資料として断層画像写真を出品欄に掲示しております。鉄砲(秘伝聞書)一巻子細書付 有馬源蔵書 花押。落札後の額縁裏面には説明文として、「Nihon Gaishi・1827 Ema Saikou・Autograph」との表記されております。伊勢門水自画賛幅 高砂末広 伊勢門水。
上記英文の日本語訳は、「日本外史・1827 江馬細香・自筆」
出品に際しては、アメリカの基準に準拠し説明欄に記載している。流星の道 (歌集) 与謝野晶子。
徳川将軍家の正室は京都の公卿筋から選ぶべきだとの意見があり、その反対論を一蹴したのが「日本外史」であった。安楽集鑰聞(やくもん) 全7冊 知空。安政元年の春、薩摩藩江戸屋敷に水戸斉昭、山内豊信、伊達宗盛、松平春嶽などの幕府老中たちが薩摩藩主・島津斉彬を囲み「花見の宴」を開いていた。岡部一彦水彩画 エベレスト遠望 岡部一彦。宴の目的は島津斉彬の娘・篤姫が将軍の正室にふさわしいかどうかを老中たちが見定めるためである。井上士朗 自作句画画帖 井上士朗。老中たちへの挨拶に訪れた篤姫に対し、水戸斉昭が篤姫の愛読書「日本外史」について質問する。博物要論 佐々木武綱訳。篤姫は正確に受け答えをし、老中たちは篤姫のその読書量と理解の明晰さに感動したという。美作国津山御家中連名附 他 松平家。老中諸侯の反対論が一蹴されたことはいうまでもない。尾張国全図 完 小田切多芸雄等。「日本外史」をきっかけにその場にいた老中たち全員が正室入輿の推進者となったと言われている。新方丈記 内田百閒。
水戸斉昭や伊達宗盛はこの時の様子を日記に記し、また篤姫の正室入りに最も強く反対していた福井藩主・松平春嶽は「斉彬公行状記」の中でこの時の篤姫の様子を「聡明にして温和、人との応接も機智に富み、学問(日本外史)深し。宮尾しげを画幅 茶柱 宮尾しげを。かくなる姫を御台所(正室)に迎えるは徳川家にとっても幸福というべきなり」と記している。尾崎士郎書簡 村本喜代作宛 尾崎士郎。その後、日本国内で「日本外史」を理解する篤学の女性として「東の篤姫、西の細香」とまで言われた。政体真説 政党論 合川正道訳 アルバート・スチック。後年、江馬細香の漢詩が掛軸となり茶の道具として用いられるようになるのは、こうした歴史的背景がある。つばめと日の丸 山田三郎。
ツイッター「源氏物語の世界」も合わせてご覧ください。尾張明細図 全国之部 小田切春江画。