《The Cypress Pillar(真木柱)》 《Moku and Chujo and the others sighed and lay down》 … and whispered to one another about the pity of it all. The lady herself, apparently quite composed, was leaning against an armrest. Suddenly she stood up, swept the cover from a large censer, stepped behind her husband, and poured the contents over his head. There had been no time to restrain her. The women were stunned. The powdery ashes bit into his eyes and nostrils. Blinded, he tried to brush them away, but found them so clinging and stubborn that he had to throw off even his underrobes. If she had not had the excuse of her derangement he would have marched from her presence and vowed never to return.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』 Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
自筆「源氏物語」の「真木柱(まきばしら)」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。一読一驚 妖怪府 加藤鉄太郎抄訳。
原文は「源氏物語・真木柱の巻」として美しく描かれている
自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。山口誓子色紙 遷宮 山口誓子。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。改正御江戸図。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。新調韻文 青年唱歌集 全2冊 山田美妙 米僊・省亭木版口絵。現在の今上天皇と系譜がつながっている。大増補 法華経御鬮霊感籖 上中下三冊。
関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。六代目菊五郎伝 改訂版 浜村米蔵編。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。土地 武者小路実篤 岸田劉生装幀。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。ギヨツツ ゲーテ著 森林太郎訳。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。人間を彫る 関野版画五十年の集大成 関野凖一郎。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。幼年 詩集 丸山薫。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。木口木版蔵書票集 博物図鑑 限50部 大内香峰。(資料の記録は下記に掲示)
出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。大報父母恩重経鈔 亮典書。
自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。紅 田村とし子(俊子)。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。雪に書く 表現叢書 10 佐藤惣之助。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。五味川純平草稿 歴史上の事実に対する困惑 五味川純平。また、各巻ごとの書かれた年については不明。九成宮醴泉銘 全8帖 加藤梅香肉筆臨書帖。従って、応永五年とは、書き始めの年である。美濃城記。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。@1924年 張廉卿墨跡 唐本漢籍 検:碑帖 本拓本 墨拓 碑拓 碑刻石 法帖 魏碑 珂羅版 支那 書道 善本 篆刻 瓦当 印譜 王羲之 玻璃版 法書 石鼓。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。西国紀聞・第六号/細島晴三/明治10年/西南戦争/和装本/賊将西郷隆盛より賊将谷干城へ書を贈れり依て士官囲を脱し南の関本営に持参せりと。
大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。富田常雄草稿 弁慶 611から613回 都の風 富田常雄。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門(おおいみかど)」を称する。絵図 (城郭図) 香川県 讃岐國 丸亀城 (レターパックライト発送)。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。塚本邦雄歌幅 雲雀童子の歌 塚本邦雄。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。さようならCP 原一男構成。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。寛政・嘉永 水場の定 2枚で。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。与謝野寛短歌全集 特定本 別に遺稿歌集付き 与謝野寛。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。Glp_362611 茶人大系譜 完 阿州棲霞陳人.著。
旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。軍事資料/戦時/1940年 検索:武器/日中戦争/日支事変/満洲帝国/日本軍/発砲/軍服/戦略/戦術/兵法/陸軍/上海戦役/支那/刺刀/槍械/兵士訓練。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。猫の微笑 薄田泣菫。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。仏学始祖 村上英俊 全3冊 瀧田貞治。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。日本名探偵文庫21 大暗室 江戸川乱歩。
出品した「源氏物語」は真木柱(まきばしら)の内容の要旨
「真木柱の巻」は、『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。豹の眼 探偵冒険 高垣眸。第31帖。岡本一平書簡 岡本一平。尚侍(ないしのかみ)として宮廷に出仕を控えていた玉鬘の姫君だったが、その直前に髭黒大将が女房の手引きで強引に結婚することになった。食人島の恐怖 探偵冒険小説 南洋一郎。髭黒大将はその後玉鬘の姫君を迎えるために邸の改築に取り掛かる。海豹と雲 北原白秋。だが、その様子を見た北の方(髭黒大将の正室)は絶望し香炉の灰を髭黒大将に浴びせる。武家必覧 殿居嚢 全2帖(武家故実) 訂書堂蔵版。この事件で完全に北の方に愛想を尽かした髭黒大将は玉鬘の姫君に入り浸り、とうとう業を煮やした北の方の父・式部卿宮は、髭黒大将の留守の間に北の方と子供たちを迎えにやる。メガメ JAPON F・REGAMEY/メガメ。明けて新年、相変わらず塞ぎこんでいる玉鬘の姫君に髭黒大将もようやく出仕を許す気になり、玉鬘の姫君は華々しく参内する。歌集 風雪 愛蔵本 吉井勇。早速訪れた冷泉帝は噂以上の玉鬘の姫君の美しさに魅了されて熱心に想いを訴え、それに慌てた髭黒大将は退出をせきたててそのまま玉鬘の姫君を自邸へ連れ帰ってしまった。木芽説 (茶道) 前田夏蔭。
自筆右下四つの印のうち下2つは、仙台藩第五代藩主・伊達吉村の正室・伊達貞子の押印、上2つは、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子・と娘の幾千姫(玉映)の落款。花押拾遺 全5冊 横山寛。
原本自筆上部には、「年光東流水」(年光東流の水)漢文の篆書印が押捺されている。窪田空穂歌幅 東山寺々に… 窪田空穂。白楽天の有名な漢詩です。弓道伝書/弓術伝書/日置流・小笠原流・吉田流/和装本/昭和11年。言葉の意味は、「時間の流れは東へと流れる川の水のように止まることなく流れてゆく」です。伊勢軍記 神戸外記著。「源氏物語」真木柱の巻の原文中には、「おほつかなき月日も重なりぬるを」とあります。武功雑記・5冊/肥前平戸藩4代藩主松浦鎮信が記した戦話/諸士諸将の武勲を雑記したもので関ヶ原の戦や大坂の陣などについて詳しい/明治36年。源氏の君が恋する玉鬘の姫君への懐かし想いを記したものです。改訂 新刻大坂詳細全図 伊藤頴男編。現代語訳では、「お逢いしないうちに月日も重なってしまいました」というものです。坪内逍遥書幅 A 坪内逍遥。紫式部が「真木柱」を書くに際し、白楽天の漢詩を読み理解し共鳴していることがよくわかる。長谷川かな女色紙 女正月 長谷川かな女。詳細な理由は下記説明欄に記載。早春詩抄 島崎藤村/畦地梅太郎木活字工作。
大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載
《「源氏物語」真木柱(まきばしら)の巻》
言葉の意味は、「時間の流れは東へと流れる川の水のように止まることなく流れてゆく」です。改正 海外諸島図説 前集 斎藤寛他 柳川重信画。
「自筆原本」
自筆右下の2つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子・と娘の幾千姫(玉映)の落款。都鄙新聞 第一号 至誠館編。
自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)
自筆が「古切」とされたのは江戸時代。尾張藩役名規式 (家中役付帳)。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載
(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。はつぞら (俳諧) 佳雄編。
《「源氏物語」真木柱(まきばしら)の巻》
《あはれのよや」なと》・・・・・うちなけきつゝ、
かた(語)らひてふ(臥)したるに、さうしみ(正身)はいみしう
思ひしつ(静)めて、らうたけによ(寄)りふ(臥)し給へりと
見るほと(程)に、にはかにお(起)きあ(上)かりて、
おほ(大)きなるこ(籠)のした(下)なりつる火と(取)りを
と(取)りよ(寄)せて、との(殿)ゝうし(後)ろによ(寄)りて、
さといかけたま(給)ふほと(程)、人のやゝみあふる
ほと(程)もなうあさましきに、あきれてものし給ふ。尾上柴舟短冊 裏山は… 尾上柴舟(八郎)。
さるこま(細)かなるはい(灰)の、め(目)はな(鼻)にも入て、
おほゝれて物もおほ(覚)えす、はら(払)ひすて給へと、
た(立)ちみ(満)ちたれは、御そ(衣)ともぬ(脱)き給つ。伊藤圭介二行漢詩幅 先世伝家… 伊藤圭介。
うつし心にてかくし給ふそ、と思はゝ、
またかへりみ(顧)すへくもあらすあ・・・・《さましけれと》
(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。信濃国更級郡大岡村などへ西沢準平年貢皆済目録 現長野市大岡地区。
《「源氏物語」真木柱(まきばしら)の巻》
《大雪の日・玉鬘の君の邸に行こうとする大将の装束に香をたく北の方(正室)》
《大雪の日・玉鬘の姫君の邸へ向かうために御装束を整える髭黒大将》
《髭黒大将の北の方、大将に背後から香炉の灰をふりかける有名な場面》
《(髭黒大将の供人)「雪が小止みになっております。新都市雑曲集 深紅の人 佐藤惣之助詩集 佐藤惣之助。夜が更(ふ)けてしまいましょう」
などと、さすがにあらわにではないが、お出かけを促し申してそれぞれ咳(せき)ばらいしている。小磯良平ブックワーク 特装本120部 小磯良平。
中将(正室の女房)や木工の君(もくのきみ・女房)などは、
(中将・正室の女房)「おいたわしいこと」
などと》・・・・・・嘆息をもらして話し合いながら横になっているが、
当の北の方(髭黒大将の正室)はじっと思いを静めて、いかにもいじらしく
脇息(きようそく)に寄り臥(ふ)していらっしゃる、とみるや、北の方(髭黒大将の正室)は
にわかに起き上がって、大きな伏籠(ふせご)の下にあった香炉を取り寄せて
大将(髭黒大将)の後ろにまわり、さっと灰をお浴びせになる。武家懐鑑 無刊記(江戸後期刊)。
その間のことは人々のよく見届ける暇(いとま)もない一瞬のことなので、
大将(髭黒大将)は驚きのあまり呆然(ぼうぜん)としていらっしゃる。上村松篁 花香鳥鳴 上村松篁。
あの細かな灰が、目にも鼻にも入って、ぼんやりと何も見分けられはしない。観経隠彰義 全3冊 信暁。
灰をお払いのけになるけれども、あたりに立ちこめているので、せっかくのお召物を
何枚もお脱ぎ捨てになった。随筆 茶烟亭燈逸伝 岩佐東一郎。これが正気でこんなことをなさるのだと思うのだったら、
二度と振り向く気にもなれまいくらい、あきれるほかは
ないのだけれども、・・・・・《例によって御もののけが人に愛想づかしをさせようと
するわざなのだと思うと、おそばにお仕えする女房たちもおいたわしく存じあげている。村上鬼城短冊 霜月の日ざし 村上鬼城。》
備考・髭黒大将の北の方(大将の正室)は、紫の上の異母姉
現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)
備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。欧州新話 谷間之鶯 セルバント/齋藤良恭。
《The Cypress Pillar(真木柱)》
《Moku and Chujo and the others sighed and lay down》
… and whispered to one another about the pity of it all.
The lady herself, apparently quite composed, was leaning against an armrest. Suddenly she stood up, swept the cover from a large censer, stepped
behind her husband, and poured the contents over his head.
There had been no time to restrain her.
The women were stunned.
The powdery ashes bit into his eyes and nostrils.
Blinded, he tried to brush them away, but found them so clinging
and stubborn that he had to throw off even his underrobes.
If she had not had the excuse of her derangement he would
have marched from her presence and vowed never to return.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
《真木柱》
夫人正在思冥想,姿雅地着。@1932年 満洲国 写真帖 初版 検索: 支那 上海事変 中華民国 軍閥 蒋介石 閻錫山 馮玉祥 国民党 生写真 古建築 総督府 汪精衛 地図 関東軍。
忽然站起身来,将大熏下面的香炉取出,
走到髭黑大将后面,一下子把一炉香灰倒到他上。経世指針 鉄烈奇談 フェネロン/伊澤信三郎訳。
咄嗟之的事,都不曾提防。詩文集 誕生日 林修平(林富士馬)。髭黑大将大吃一,
一呆若木。雨夜のともし火(燈火) 湯浅元禎。的香灰侵入眼睛里和鼻孔里,
弄得他昏,看不清四周情状。井上士朗画 三輪月底句画賛扇面幅 井上士朗 三輪月底。他手乱,
想把香灰去,然而身是灰,不,只得把衣服脱下。尾崎喜八草稿 かびれ俳句 冬木原 尾崎喜八。
使神正常,而做此行,
那是无礼之,此人没有再的价了。蘿隠集 漢詩文 全2冊 横井暮水也有著 大口金三郎編。
中国訳文の出典:『源氏物語(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)
左の写真が「源氏物語」真木柱の巻の末尾(原本番号40-B)の押印。明治11年 東京府下町村改正区郡分一覧 林吉蔵編刊。
写真左下の角印が仙台藩の家紋印(竹に雀)
家紋印の上の2つの印は仙台藩主第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)。日本唐土二千年袖鑑 拾遺絵入天地人 3冊 歌国 鐘成他 半山画。冬姫は内大臣・通誠の養女。勢遊志 伊藤長胤。
冬姫は通称。まごころ 石坂洋次郎。正式な名は伊達貞子。尾崎久弥草稿 根本仕立の艶本 尾崎久弥。
右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。高浜虚子短冊 我を迎ふ 高浜虚子。
表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(奥書は、令和2年11月29日に蔵の中の桐箱から発見されたものです。一原有徳識語懐紙 カルデラの… 一原有徳。)
(出品した自筆の「断層画像写真」(真木柱の巻)MRI 31―13B
「源氏物語」真木柱の巻の絵の資料
下記写真は、髭黒大将の北の方(正室)が大将の香炉の灰をに浴びせる画面の絵
1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。水無瀬歌合 上下2冊 藤原親定等。
「年光東流水」(年光東流の水)漢文の篆書印が押捺されている。大野林火色紙 郭公の 大野林火。言葉の意味は、「時間の流れは東へと流れる川の水のように止まることなく流れてゆく」です。女庭訓 黒岩涙香小史訳述 永洗口絵。白楽天の有名な漢詩です。伊藤観魚書幅 金剛摩尼華 伊藤観魚(八田道人書き)。この漢詩は「白氏文集」に由来するものです。十年 佐藤春夫他編 岸田劉生装幀。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。西春日井郡安井村全図 稲垣氏所蔵同捺印。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。世界名作探偵 20 透明人間 ウエルズ 海野十三。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。瀧井孝作句幅 朝顔の句 瀧井孝作。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。コドモトナリグミ (児童書 絵本 漫画本) 坪田譲治作 武井武雄画。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。柳原白蓮歌 名取春仙画幅 おもひきや… 白蓮画賛。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。改正新刻 京都市街名所新図 片岡賢三編。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。千家元麿書幅 佛陀の… 千家元麿。撮影後、展示のために再表装をしております。狂言画 伊勢門水。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。明星画譜 全12葉 与謝野寛編 伊上凡骨刻。
国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。地熱 渾大防小平。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。0406か6■和本■詩経名物辨解【享保16年/7巻3冊揃/虫損/シミ】京師書林【ゆ60】。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。第6回追悼会 憂国忌 ポスター2種 2枚他 憂国忌実行委員会。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。太田水穂色紙・井上康文色紙貼り合わせ幅 太田水穂 井上康文。
2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。三島由紀夫自選集 限定版 署名入り 三島由紀夫。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。大鎧着初式 市岡太次郎。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。女人散らし書き A。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。@1916年 擁護共和 紀章 雲南 都督府 検索: 支那 中華民国 北洋 軍政府 軍閥 唐継尭 蒋介石 閻錫山 馮玉祥 五色旗 孫文 国民党 生写真 督軍。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。越後国大絵図 (仮題) 絵師版元など不明。
3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。赤復得楽帖 ◆貴重 /古書画。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。膳城烈士遺稿・膳城烈士伝 計2点 永元原蔵編。
4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。紡錘 山中智恵子。母は後水尾天皇皇女女二宮。夢を描く 尾崎久弥(尾崎楓水)。実母は近衛家女房(瑤林院)。石井河内守利寛より渡辺半十郎宛礼状。幼名は多治丸。植松有経歌幅 月下薄 植松有経。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。高浜虚子句幅 秋の雲 高浜虚子。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。【推薦・繊細 明治期 彩色木版画】大日本史事畫集等検合戦国武将軍記武者絵入天皇仏教浮世絵本仏像歴史古書籍骨董品錦絵朝廷中国朝鮮歌舞伎。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。殿居嚢(武家故実) 大野広域著。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。半田良平短冊 磐梯山 半田良平。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。浅野梨郷短冊 7枚一括 浅野梨郷。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている
ツイッター「源氏物語の世界」も合わせてご覧ください。伊藤圭介二行漢詩幅 花香… 伊藤圭介。
不昧公 公卿 肉筆 保障 保証 真筆 真筆 親筆 古筆 本物保証 本物保障 室町 掛軸 掛け軸 自筆 天皇 茶道具 宗鑑 良寛 伝来 歌仙 極め 極札 極め札 鑑定